勉強をする理由を教えて貰える家庭は幸せですね

私は芸人さんのラジオをよく聞いているのですが、ある芸人さんが

「俺は勉強する意味が分からなかったからやらなかったけど、意味が分かっていたらやっていた。知りたかった。」

という話をされていました。

何故勉強するのか

結論として勉強する理由は

「何か壁にぶつかっても冷静にその壁を越える努力をするようになる」

ということですね。

短絡的な思考にならないということです。

勉強することによる弱点も当然出てきますが、所謂「普通の人生」を送るにはこれが一番いいです(言い方が生意気ですいません)。

たとえばそれこそ芸人になろうと思ったら人生を賭けて、運や生まれ持った資質など努力だけでない要素もかなりの割合で出てきます。

学校の勉強はよほど高位の学校を目指さない限りは不確定要素は少ないですし、なんなら模試で「自分はここまでだな」と分かります。

「自分はここまで」という分析力を手に入れられるのもかなり大きいです。その後の人生が全然違ったものになります。

同様にスポーツを頑張った人も同じような教訓を得られるでしょう。上手い体の動かし方や自分と周りを比べる客観の目も持てます。

だいたい、上手くいかない人や上手くいかなかった上に暴れる人は客観性がありません。

俺が、私が、ばかりです。どうすればいいかという思考になりません。思考がそんなだから行動も極端に走りやすくなります。

そこから抜け出すにはどうしたらいいかという思考にならないというのは教育を受けていないからで、どういうことかというと親が駄目だからなのですが駄目な家に生まれてしまったのだから仕方ない事です。

なので、親が一定の家に育った人は幸せだと思います。「何故教育が必要なのか」ということを小さい頃に知れて、かつ後世(自分の子ども)に伝えられるからです。

私はというと駄目なほうなので、「学校の勉強は何故必要か」というのを教えてくれる人が欲しかったですね。

ところで、「何故必要か」は学校の先生は教えてくれません。これは当たり前で学校の先生は学校から出たことが無く、ずっと学生みたいなものなので仕組みが分かる人が居ないからです。あと、所詮他人なのでそこまで生徒の人生に踏み込まない頭の良さはあります。

返す返すも残念なのは初等教育以前ですね。荒地や砂漠に作物は出来ません。

残りの人生は短絡的な思考で悪い事だけはしないようにしていこうと思います。

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コメント

  1. ビル万様の影響を受けたじいさん より:

    客観性の考え方には、賛同しますが、僭越ながら、biruman様の後半のお考えには異を唱えさせて頂きます。-学校の勉強は何故必要か」というのを教えてくれる人が欲しかった-等と言うのは、biruman様らしくないと思います。あなたは、学校の勉強は何故必要なのか?と、誰かに問いましたか?親を含め周囲の誰かがあなたが求めている物事を、いつも与えてくれる訳ではありません。作物は、そもそも、荒野に出来ていたものだと思います。苦しいからこそ、逃れたくていろいろ考えるのではないのでしょうか?例えどんなに立派な両親の子供であろうとも、自分が、何かを求め考え行動しなければ、何も得られる物事はありません。あがく事で失敗も多々有りますけどね。biruman様の主旨を間違って解釈していたら申し訳ありません。ただ、biruman様らしくなく、自分の状況を、他のせいにしている様に思えたので…。私を含め心が、弱くなったら人には、よくある事です。説教じみていて大変申し訳ありません。ところで、電気管理技術者の仕事は、どうですか?良い事も悪い事もお教え頂けるとありがたいです。宜しくお願いします。

    • biruman より:

      >ビル万様の影響を受けたじいさん
      駄文を読み込んで頂いてありがとうございます。

      例えば都会と田舎では大学進学や学力などに有意な差があります。
      これは保護者の意識と無関係ではないのではないだろうと考えられます。
      その程度の話です。教えて貰える機会があるかないかではその後の人生が違います。

      作物は確かに無農薬で荒地でも生るのは生りますが
      商品として店頭に並ぶようなものにするには農薬を使ったり肥料を使ったりします。
      先人の知恵を使って世の中に通じるようなものにするわけです。
      ただ育てればいいというわけではないのではないでしょうか。
      人間も同じだと、そういう話でした。
      親のせいにしたつもりはなかったのですが、
      そういう環境が欲しかったという気持ちも出ていたのかもしれません。
      そうは言ってもただの考え方ですが。

      ごく稀に、酷い環境で育って大成する人も居るのは居ます。
      私の知り合いで母子家庭の極貧に育ちながら学校図書館の資料だけで国立医学部に行った人が居ます。
      そういうレアケースな人も居ますが、たいていは手塩にかけないと花は咲かないものです。
      だいたいの家では親が駄目なら子どもも駄目です。
      東大生の7割の家庭が年収1千万以上の家庭であるというデータがあります。そういうことです。

  2. 赤い左辺 より:

    学校の勉強には、壁を超える努力を学ぶ意味があったのですね。
    私はそんな事は分からなかったし、多分両親もそうではないかと思います。

    私は、お金の計算ができて、漢字がほぼ読める程度の小学校の4、5年生くらいまでの勉強は生活するうえで必要な部分はあると思っていました。それ以上の勉強は入試や入社で人を選別するくらいの意味しかないように感じていました。

    その他、学校では勉強以外に、ひとりひとりの気持ちや意見を大事に・・・と口では教えつつ、個性を嫌い、集団に同調していくことを教えます。いわゆる本音と建て前の使い分けを教えています。場の空気を読んで、うまく立ち回れという事ですね。

    私はこういう学校教育に不快感を持っていたので、先生のいう事を真剣に聴く気が出ませんでした。

    今思うと、birumanさんが書かれた

    「何か壁にぶつかっても冷静にその壁を越える努力をするようになる」

    は何度も知る機会があったかもしれないのに聞く耳を持たず、気付かなかったのはもったいなかったですね。

    • biruman より:

      >左辺さん
      コメントありがとうございます(^^

      最初に情報を掴んでおくかどうか、その情報にどんな意味があるのか
      ということを教えてくれる人が居るかどうかで違ってきますよね。
      社会でも嫌と言うほど味わってきました。
      「敷かれたレールを…」とかいうセリフがありますが誰かがレールを敷いてくれるのが
      どれだけ幸せな事なのか分かっていないのだなと。
      生来の頭脳ですら環境が整わないと伸ばすことが困難になります。

      私は子どもは居ないですが負の連鎖で悲しい思いをする
      子どもが増えなくてよかったとすら思うことがあります。

  3. おとぼけビルメン より:

    勉強する理由とは、外れるかもしれませんが、兄弟(兄姉)がいると参考になると思います。私が電験の存在も知らないころ、同級は、兄が大企業や自衛隊の技官で(学校もいいところを出ておりました)電験ももっていたそうな、私め電気工事士で何でもできると思ってました。親も兄弟もそっち関係素人以下でした。高専いったら国立大学編入しやしいことまで知っていました。電機を仕事にと電機関係ってどうかな?位差がありますよ。
    近親者にその道で生業してる人がいると、勉強する意味や勉強の手順がわかるので
    その道に続く勉強がやりすいので、意味も理解できるのでは、
    私の場合い、親も姉も今流行りだ、これからはコンピュータだとかで
    やっきにコンピュータ関係を押してましたが、当時親も姉も、ワープロさえ使えませんでした。私がポケコン使ってるくらいでした。