俺の父は

俺の爺さんから滅茶苦茶な虐待を受けていて

まともに義務教育が受けられなかった。

箒で柄が折れるまで殴られたりとか煉瓦を投げつけられたりとか

祖父から暴力を受けた話を落ち着いた口調で父はしてくれてた。

父は小学生くらいの頃から

一日の始まりは早朝から新聞配達をして

毎日学校が終わると

夜遅くまで家の仕事をして

学校では寝てばかりだったという。

寝てばかりだったが

その町では有名な虐待家庭だと知れ渡っていたので

教師も父を起こさなかったらしい。

父は中学を出た時は時計が読めなかった。

それくらい学習に支障が出ていたそうだ。

中学を出てすぐに働くことになったが

当時中学出たての父の体が小さすぎて

生まれ故郷の町では

「子どもみたいな体格の人間を雇って使うと体裁が悪い」

という理由で、生まれ育った町ではどこにも雇って貰えず

遠くの町の左官屋で働くことになった。

その左官屋でも

体が小さいことや

住み込みで働くのに祖父が全く干渉してこないので

(たぶん左官屋がいくらか祖父に払って人売りのようになっていたんだろう)

扱いは最低のものとなり、周りの先輩弟子からも

滅茶苦茶に苛められたらしい。

耳を引っ張られて

耳が千切れるくらい切れたと言っていた。

給料は大卒の給与が月1万2千円くらいの時代でも

安すぎる月千円だったそうだ。

それでも将来の事を考えて

郵便局に貯金をしていたらしい。

真冬のある日

雪が積もる中、裸足で仕事をしていたら(昔の冬は今よりもっと寒かった)

道を歩いていたおばさんが涙を流して

靴下と靴を買ってくれたらしい。

父はよく

「俺は世の中に育てられた」

と言っていたが

多少世間が冷たくたって

世間を憎んで云々したくないというのは

俺が父から学んだことのひとつだ。

そして、父が20歳くらいになり

一人前の職人になった頃に

左官屋の親方が体を悪くして

他の弟子は皆、親方を見限って出て行ったが

父はその時に親方が請けていた

公共の大きな仕事が終わる2年間くらい親方に付き合ったそうだ。

親方の家族にすら苛められ、虐待されて真っ先に逃げたらいいはずなのに

職人に育ててくれた義理は通す、というような

そんな不器用な人だった。

左官屋を去ったあと色々あって

ある大企業に勤めていたこともあったそうだし

(昔の大企業は頑張っていたら学歴関係なく拾ってくれたらしい)

何故かよく分からないが政治家に気に入られて議員になれそうな時もあったとか

話を盛ってるのかもしれないが

結局俺という子どもが産まれたことでお金が必要になって

公共事業が盛んだった頃だったから土木技術者になった。

父はとにかく滅茶苦茶に働いていて

俺が子どもの頃は殆ど家に居なかった。

道路工事をやっていた時に休みもしないで独り働いていたら

道行く爺さんから

「そこまでして働くのはなんでですか」

とドン引きされたとも聞いた。

そんな父も数年前に亡くなった。

働きづめだったし

どんなドラマの主人公よりグシャグシャの出自だよ。

物語は創った人の倫理ブレーキがあるけど

現実のほうは際限なく不幸が来るからね。

でも人を恨んだりとかそういう恨み言みたいなことは

父の口から聞いたことがなかった。

それどころか虐待していた祖父の家に

毎月様子を見に行きつつ金を渡していたよ。

「親が元気で居るのはありがたい」

とか言っていた。

お人好しすぎるよな。

俺が仕事が〜とか世の中が〜とか

文句主体で権利ばっかり主張する人に

一歩引いて考えてしまうのは

父の話を知っているからだろう。

どこか冷めて見てしまうんだよ。

と、俺のそんなしょうもないお気持ちの話はどうでもよくて

このブログを読む奇特な人に

俺の父のことをちょっと知って欲しくて

拙い文だけど書き連ねてみたよ。

父の事を考えると

不幸な子どもが減って欲しいと願うくらいしか

力も能力も無い俺には手立てがないけど

出来ればすべての子どもが幸せになるような

そんな世になって欲しいもんだね。

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コメント

  1. 管技マン より:

    ビル万さま
    お疲れ様です。

    お父様大変だったのですね。。。
    人生って本当。。運ゲーですね。。。

    • biruman より:

      >管技マンさん
      「配られたカードで勝負するしかない」
      という向きもありますが
      そもそもカードを配って貰えない階級も存在しますので。

      私もあの世に行ったら父からまた色々話を聞きたいと思っています。

  2. 赤い左辺 より:

    今回の記事は読み進めるのが辛いくらいでした。お父様は不器用だったとは言え、どうして逃げなかったのか、自分も不器用ですが、お父様と同じ時代、同じ境遇なら、きっと生きていなかったか、悪事に踏み入れざるを得なかったでしょう。

    私にはお父様がbirumanさんに同じ苦労をして欲しくないと考えておられたのか、苦労を苦労と思われなかったのかは定かではありません。ただ耐え難い境遇でも曲がった道に走らなかった人格は間違いなく素晴らしいです。

    そんなお父様が生きていれば今のbirumanさんにどう生きて欲しいと言われるでしょう。家族ならでは想像がつくかも知れません。心の中で生き続けるのはそういう事なのかもと思いました。

    • biruman より:

      >左辺さん
      逃げるのも器用さが要るので出来なかったんじゃないかなと。
      それと、左官の仕事で一人前になるという目標があったからと言っていました。
      私と違って職人気質で仕事に真摯な人だったので。
      悪事も「うちは悪い事できるような根性のある家系じゃないから」と言ってましたね。

      話を聞いた限り、父の人生の岐路にはだいたい助けてくれる人が出てきてたんですよ。
      同じくらい悪い人もいっぱい出てきてしまって大成できなかったようですが。

      父を見送ることが私の人生の目標だったので
      果たしてしまったんですよね。
      あとは父の所に行くだけなんですが
      最近はアホのくせにバタバタしてしまって
      あの世で小言を言われそうです。